蘭丸がゆく   その二百十三

★『きもの産業年鑑』を発表する矢野経済研究所の試算によると、国内にある和服は約8億点、購入時価格にして数10兆円なのだとか。そのほとんどが『箪笥の肥やし』。存在さえも忘れ去られたまま、眠っているのである。眠っているとはよく言ったもので、絹は生き物なのである。着る機会がなくとも、年に一度は虫干し(風を通す)さえしていれば、数代に渡って着用ができるわけで、100年保つと言っても過言ではない。が、しかし、放っておくとグレたり病気になったりするのだ。これを私はネグレクトと呼んでいる。

★『全く着てないから』とお持ちになるものに限って、惨憺たるものが多い。昔の着物の裏に付いている胴裏というものは、たんぱく質の変質によって黄変している物が多い。また、湿気の多いところに保存されていた物は、カビが生えたり、古い畳紙の灰汁が移ってしまっていたり。変色や退色しているものもある。

★古い糸が切れてしまう事もあるが、生地が裂けてしまう事を『生(しょう)が抜ける』と言う。糸弱りは直せるが、生地が裂けてはもう着られない。不思議な事に、検品や試着の段階では何とも無い物が、体温が伝わった途端に生が抜けるものが有る。絶命するのだ。私自身、経験した話だが、状態の良いヴィンテージの着物を着て出掛けた数時間後、歩く度にぴしぴしと不穏な音がする。恐る恐る帰宅して脱いでみると、表は何ともないのに胴裏が粉々になっていた。纏われるために生まれて来たので、着てもらったことで息を引き取ったように思えるのだ。オカルトではない(笑)

★当店でお売りしたものでも、過去数点こんな事があり。お洒落してお出掛けした方に恥をかかせては大変なので、検品には相当時間を割いているのだが、その時点では何ともないのだから正絹の神秘としか言えない事が多い。虫干しをしてもらえない一番の理由は、干した後に畳めないからだとか。ググってください。いや、学校の家庭科で是非教えて欲しいものである。(梶原志津)