蘭丸がゆく その二百二十三 ★暑かった夏の日、訳有って越前に赴いた。折角なので、昨年10月にオープンした一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねてみることにした。蘭丸、茶々、坊丸と愛猫に命名する私はミーハー織田信長ファンである。一乗谷と言えば一乗谷の戦い。わが親方様、織田信長に最後まで抵抗し、滅ぼされた朝倉義景の牙城はまさにアウェーなのだ。行きたいような、行きたくないような、あー行っちゃえとなった訳だ。 ★約200mに渡って、450年前の町並みが復原された一乗谷遺跡。復元ではなく復原なのは、1967年から始まった発掘調査によってほぼ完全な状態で発掘されており、石垣や礎石をそのまま使って再現。そして、金隠しが出土したことから、日本で初めてトイレが確認された地であるのだ。そればかりではなく、武家や町家に井戸も整備されていて、信長によって火を放たれた際に投げ込まれた財宝等、出土品も相当数出ている。敵の侵入に備え、見通し悪く作られたその道に立ったとき、焼き討ちされた多くの人々の声が聞こえてくるようで怖くなった。★当時一乗谷は全国有数の大都市で、かなりの冨を蓄えてインフラ整備も整っていた事が分かる。初代朝倉氏は応仁の乱での活躍から越前を統治。義景の父の時代には既に国内外に伝わる程栄華を誇っていた。そんな義景のところへ身を寄せた足利義昭に上洛を勧められるが、結局信長にお株を奪われることになる。もし先に義景が上洛していたら、歴史は変わっていたかも知れないな。 ★義景と連盟を組み、共に滅ぼされた浅井長政は信長の妹・お市の夫。一乗谷を任され、結果的に遺跡を守る事になった柴田勝家は市の二度目の夫。まだまだループは続くが、血縁だろうが縁戚だろうが殺しまくるおぞましい戦国時代がこの国にもあった。最後は初恋の相手、お市との幸せが一年も続かなかった柴田勝家の有名な辞世の句を一つ。『夏の夜の 夢路はかなき あと名を 雲井にあげよ 山ほととぎす』。 (梶原志津) |